補足(1)


これは、「偽善者達への夜想曲」で出てきたものたちの補足です
結構、長文なので必要ない方は読む事はないでしょう
さて、何から書けばいいのでしょうか
あぁ、新しい所からの方がいいですね
では、武術の究極が、なぜ「無」なのかという事からにします(なぜ「居合」ではないのかは、補足でほとんどかたってしまったからです、もっと出して欲しいと思った場合は、「読者欄」に書き込んでください)
武術(または「武道」)に関わらず、勝負ごとというのはいかに相手の先を読むかが決めてになるのは周知の事実です
では、相手の先を読む時は何に要点をおけばいいでしょうか
将棋やチェスなどであればその相手が今までしてきたものからしてきそうな事を選び出せばなんとかなりそうですし、空手やテニスなどであれば相手の動きを見ればなんとかなりそうです
ここで、逆を考えてみましょう
では、読まれないようにするには、どうすればいいでしょう
将棋やチェスなどであればとんでもない事をすればいいですし、空手やテニスなどであれば相手が動いてから動けばうまくいきそうです
つまりは、相手の行動を逆手にとって行動すればいいのです
では、話を戻して「無」になるとはどういう事をさすのでしょうか
先に書いた事を基本とするならば、「相手の動きをいかに読んで、自分の次の動きを悟られないか」となりそうです
「闘気」とか「殺気」とかが出ていれば、結果的に仕掛けてくる事がわかります
来るとわかっている危険を避けようとしない人間が居るとしたら、恐怖感とかが欠如してるのかもしれません(「狙って」とか「避けようがない」とかなら別ですが、「避けようがない」という事はあっても本能的に避けようとする気がします)
さてさて、今回はこのくらいで幕を引く事としましょう
ではまた次回