達人ってなんだろう


今回は問題提議と、私なりの答えへの道筋しか書かれていません(この答えを出すには、私はあまりにも若く、そして人生経験も足らないからです)
でも、とりあえず、なぜこんな物を書こうなどと思ったかを書かなければならないでしょう
事の発端は、「読者欄」に書き込んでくれた「居合の達人」さんです
この投書を見た時に、初めて「そう言えば、達人がどういう者か書いていない」と思ったのです、かなり頭の方で書かなければならないような事なのにです
そこで、急遽書き始めたわけです
では、本題へ入ります
世の中には、『達人』と呼ばれる方々がいらっしゃいますが、そのうちで「自分が達人である」と公言してはばからない方は少ないと思います
特に「〜道」とか「〜芸」、「〜術」と呼ばれるモノで『達人』と呼ばれる方達にはそれが強いような気がします
私としては『達する』という事がどういう事かわからないので、『達人』と名乗ることは絶対にできません、むしろ、『達人である』と名乗れる方には『何を達したのか』を尋ねたくなります
あっ……いけない……自分でどういう事が『達する』かを書いていませんでした(笑)
私なりに考えた『達する』と言う事を書き出してみると二つありました(剣道を私は習っているのでそれを基本とします)
  1. 剣道の究極を知る
  2. 「1.」を実践できる
ここで、「剣道の究極」が何なのかという疑問が浮かびます 私は、「剣道の究極」を下の様に考えます(人によって違うと思うので、これが正当であるとは思っていません、したがってこれを他人に押しつける気はありません)
  1. 勝負事としての究極
    1. 相手に自分の次の動きを悟らせない様にする事ができる
    2. 相手の次の動きをすべてよむ事ができる
    3. 「2.」の時、相手の隙を見つける事ができる
    4. 自分の動きをより疾くする
    5. 「4.」を利用して相手の隙へ有効に仕掛ける事ができる
    6. 自分の動きの無駄を最小限に抑える事ができる
    7. ルールを知り、それに沿った形の技を覚え、使用する事ができる(当たり前の事だが)
  2. 「道」としての究極
    1. 心を常に平静に保つ事ができる
    2. 「1.」の時、自分のまわりの行動すべてを観察できる
    3. 自分の行動を常に正しい方向へとむける事ができる(「正しい」とはどう言う事かはこの際固定しない)
    4. 他者の言葉を理解し、正しければ自分の肥やしとする事ができる
    5. 剣道のみならず、他の事への関心を持ち、常に前進し続けようとする心構えを持つ
    6. 生命の尊さを知り、すべての生物に対して、同じ様に振る舞う事ができる
この中で、共通する事柄がある事に気づかれたでしょうか、実は「1.」の「2.」と「2.」の「2.」はほとんど同じ事なのです
「武道」と呼ばれるモノのほとんどは「2.」の方に重点が置かれます
それは、「武術」から「武道」となった時点で、自分を見なおす「禅」と呼ばれるモノに近くなっているからです(しかし、「勝負事」である点がなくなっているわけではありません)
 
「武術は技であり、武道は修行である」と言うのが私の考えで、それが間違っていると思った事はありません
「修行」と称しても勝負事、勝つ事もまた大切な事だと思います、でも、私は「負ける事」もまた大切だと思っています
「負ける事」は自分に足りないモノを見付ける最良の方法だと思ってます、したがって「負ける事」が嫌いな人間は自分に足りないモノを見付けるのが大変だと思います
私としては、あまり「負ける事」を嫌わない様にした方がいいと考えているので、「負けてるな」と思った時にはなるべく「負け」を認める様にしています
 
……論点がずれてしまいました
さて、あなたにとって『達人』とは、『達する』とはなんでしょう、私にとっての『達する』『達人』は書きましたし、これが変わる事はあまりないでしょう
では、中途半端なのですが、今回はここいらへんでお開きとしたいと思います