宗教って(苦笑) その2


本来は一発物なんで、続編はないのですが、これに関しては一回じゃ全部終わっていなかったので、第二弾ありです


前回は「カルト宗教」に集中してしまったので、今回はもう少し全般的に考えていこうと思います
さて、今この世の中にある新興宗教・新新興宗教のほとんどは、完全なオリジナルの物ではありません
どこかしらその前の宗教を取り込んでいたりしています(まあ、この世の中の物のほとんどはそんな感じでしょうけど)
つまり、源流に近くはないのですが、昔の宗教のエッセンスだけを知りたければ、今ある宗教達を眺めていけばいいというわけです
また、馬鹿な信者達を眺めれば、自分が何をしてはならないかという事がわかるので、反面教師としても使えます
とくに、創価学会の人間はよく眺めておきましょう、どこかの馬鹿な宗教団体(※1)がしようとした「政治家を輩出すれば日本を支配できる」という考え方のある意味での成功結果(※2)だからです
 

また、「浄土真宗」の「超」が付くぐらいの現実主義もよく眺めておく事をお勧めします、これによって、ふざけた新新興宗教に引っかかる確率が格段に低くなります
キリスト教の豪華一点主義は、ある意味で尊敬に値するものだと思います
 

まあ、どこの宗教でも言える事ですが、自分の宗派以外の人間は、ゴミ以下の存在(※3)です
「ゴミ以下の者どもを自分たちと同レベルまであげてやろう」という考え方によって引き起こされる行動が「宣教」であると言える(※4)でしょう
 

「幸○の科学」の教祖(あえてこう書きます、本人は違うとか言ってますが…)の「我は人でない」には笑わせていただきました、私と私の知人達は「人でなし?」と言い合って、「教祖って奴はやっぱり人でなし」だという事で決着しました
こういうくだらないつっこみは結構多く、これが高じて「いつ来るかわからない終末」とか「もうまっただ中の末世」とか「無茶苦茶先の末世」などの(ある意味で)面白い言葉がでてくるわけです
 

私にとっては、宗教自体が胡散臭いモノであり、物語として教義を眺めるのであればともかく、信じるに値するとは思っていません
したがって、「奇跡」と呼ばれるようなモノがあっても「眉唾」でしかありません
実際、オ○ム(現「アレフ」)の「空中浮遊」に至っては「髪が上に上がっている」時点で、嘘だと思いましたし、キリスト教の「イエスを刺した時、水とワインが流れ出た」は「赤血球の水溶液と細胞液でしょう、飲んでみた人っているのかな」と思ったわけです(「聖痕」については、こちらに書いてあります)
 

「天使は美麗で、悪魔が醜悪」であるというのも私が信じるに値しない理由でもあります(これについては「天使と悪魔」をみてください)
 

今回は(”も”ですね)とめどめない書き方になってしまいました、次回はもう少し何とかしたいと思います
 

注釈
※1 どこかの馬鹿な宗教団体 路上で踊ったりしたところの事です、他にもあるかもしれませんが……
※2 結果 天宮は「赤」でも「右翼」でもありません
ただ純粋に結果を述べているにすぎませんので、それは間違わないでください
※3 ゴミ以下の存在 「〜教は違う」とか言うかもしれませんが、基本的に「異教徒」はゴミ以下の存在であると考えた方が無難です
※4 宣教 「改宗」を迫るのも同一の考え方で、説明が付きます
これは、宗教だけではなく一般的な社会行動にも当てはまります