「ヲタク」ついての考察

そうそう、真っ先に書いておきたいのは、私はヲタクの存在とかを否定しているわけではありませんのでそこは間違わないでください(って、こう書いてあってもそれを無視する輩は居るから意味がないのかもしれないが)
 

さて、「なにかと文系のヲタクは否定される」のは現在の日本では当たり前の事なのかもしれませんが、よく考えて見てください、文系に限らずヲタクというものは存在するという事を
別に、文系のヲタクが犯罪(少女誘拐殺人とか……)にはしる事が無いとは言いませんが、それは文系のヲタクに限った事ではありません
この偏見は一昔前の「パソコン通信をやっている=ヲタク」というのによく似ています(こういう偏見を植えつけてしまった某ヲタクには法律上の断罪以外にも罰を与えるべきだとは思いますがあえてその点については無視する事にしましょう、何かができるわけでもないですし)
しかし、です、運動系ヲタクにはそういう偏見はあまり発生しないのには「人間というナマモノ(というよりは「日本人」といった方が正しいでしょうか)」の性質が如実に表れていて面白いと思います
「スポーツマン=爽やか=ヲタクではない」という狂った書式でもできているのだろうかと勘繰りたくもなります
私にとっては「スポーツマン=スポーツヲタクである」という書式が成り立っているので、たとえ高校球児(元も含む)がそういう犯罪を犯そうと「野球ヲタクが犯罪を犯したか……」と認識するのに対し、まわりがそういう認識をあまりしないのが不思議としか思えません
それは多分「ヲタク=文系である」とでも思っているのではないでしょうか
 

人というものは、「ある一つの結果」が善悪のどちらであれ印象が強ければそれが真だと思い込む傾向にあるといえます
これは「印象が強い=>広範囲に広がる=>一般論に近くなる」という移行を辿るからだと思われます
これは、行動・思考・信仰に現れます
したがって新新興宗教はより印象の強い、というよりはパフォーマンス性の高いモノへと進化(退化ともいえない事はありませんが)して行きました
こう考えれば、新新興宗教の教祖達は「宗教ヲタク」か「心理学ヲタク」とも言える事になります
 

まあ、ヲタクといえども色々と種類があるという事がおわかりいただけたでしょうか
「天宮が何ヲタクか」と問われれば、答えは簡単です
人間観察ヲタクです