ボランティア
私は、ボランティアが素晴らしい行為だと思った事はありません
なぜ、そう思うのかをちょっと書いていきましょう、ただし、存在し無くてもいいなんて思うわけではないという事だけは断わっておきます
ボランティアという行為をすこし精神的な所から眺めて見ると「差別」「快楽」の二つから成り立っていると思います
- 差別
「相手よりも自分の方が上である」とか「相手が自分より不幸で可哀想」とか、する相手を自分の差を無理矢理つくり出して差別化をはかります
それにより、相手を差別し、それを「ボランティア」という言葉の「オブラート」で包んでいます
他の言い方をすれば「ボランティアという言葉を掲げて相手を見下している」とも言えるでしょう
- 快楽
相手を差別したり、自分の正義を貫く事によって生じる快楽は、基本的に精神的なものです
しかし、大概の場合その快楽を快楽ではないと思い込みます
この思い込みによって、その快楽は増大し、常習性を伴う様になっています
まあ、こんな感じでしょうか
救いようのないのは「差別を差別とは気付かずにする」という行為なのですが、ボランティアをやっている人たちは気付いているのでしょうか、私は気付いていないと思いますが